NB990の表 STORYの奥 JOBッス(1982年の初代から履いていた!?)

この写真を見つけた時から・・・

一気に 勝手な想像が止まらなくなってしまった。

一体いつから何故履いていたのだろうか・・・

 

マウスのボタンが2つある事が絶対に許せない 徹底した拘りを持った人だけに

もっと語られてない理由がある気がしてならない。

 

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おそらく最も有名なのはこのイメージの写真で

990v2、991,992を履いてプレゼンしている姿だと思います。

僕は98年〜2011年

この時期から990v2を履きはじめたのかと思っていました。

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ところが 最近になって999を履いている姿や、さらには997?

かなり以前から履いていた写真が出てきました。

 

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さらに本当かはわかりませんがwikipediaにはこう書かれています。

真相はわかりません。

New Balance 99X Series - Wikipedia

Most of the information on the early models of the 99X Series is available on two New Balance promotional histories of the series in video format.[6][7]

New Balance owner Jim Davies has claimed that the original design concept actually came in a letter from Steve Jobs, a known New Balance enthusiast and founder of Apple Computers. Jobs, wrote to Davies because he was tired of wearing plain leather shoes and he wanted something "more sporty and hip". He included a rough sketch of what he envisioned for the shoe and this formed the base that designers built the series from.

 

そして以前からずっとずっと疑問に思っていたのですが・・・

82年〜90年にかけての美しいフォント”GARAMOND”を

使った 広告が存在します。

この広告がシューズやPCそのものを超えるくらい大好きで、

僕には 双方 同じ影響を受けて作られたように見えてなりません。

 

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そして、当時のCI (コーポレーションアイデンティ)や

広告を担当していたのがこの方です。あの世界一有名なコーヒー店のCI も

彼の仕事です。

82年の990初代リリースの少し前から95年くらいまでは

この路線の広告が定番化します。つまり

イメージの基礎を作ったと言っても良いと思います。

 

このビデオではヒッピー感溢れる彼の佇まいと

知られざる創業時の話が公開されています。

 

 

betamag.newbalance.co.jp

 

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98年くらいまでこの手法を使っていて

どんどんミニマルにアップデートさせている。

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そしてそのバックボーンが根本的には ここにある様に思えてなりません。

真相は不明ですが・・・。

 

greenz.jp

 

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それは

僕はこの以下の スピーチが大好きで

人生で思い悩んだ時に何回も読んでいました。

だから

勝手に繋げて想像してしまうだけかもしれませんし、

何度も言いますが、真相はわかりません。ただの想像です。

 

ただ、

このスピーチで カリグラフィーの美しさに魅了された事を話していて

最後はWhole Earth Catalogの この言葉で締めくくられています。 

 

 

 

スティーブ・ジョブズの名スピーチ(寺澤芳男訳)

Stay Hungry,Stay Foolish(喰らいついて離さないハングリー精神を持ち、バカなことも時々やろう)



今日は素晴らしいスタンフォード大学の卒業式に皆さんと一緒に出席できてとても光栄です。
私は大学を卒業していません。今日の大学の卒業式は本当のことを言えば、初めての経験です。三つばかりお話しします。みんな簡単なことです。聞いてください。


点と点をつなぐということが最初のお話です。
私はリード大学に入学してなんと六ヵ月で中退。本当に辞めるまで一年半ほど大学に居残って授業を聴講していました。なぜそんなに早く退学したのでしょうか。それは私の生まれる前の話ですが、私の母は未婚の大学院生で、私を生む前から育てる気はまったくなく、いずれ養子に出す気でいました。事実、生まれると同時に弁護士夫妻への養子縁組が決まっていたのです。


ただこの弁護士夫妻男の子である私を見て断ってきました。女の子が欲しかったのです。順番待ちの二番目にいた夫妻へ私は養子になることが決まりました。私の生みの母はこの二番目の夫妻の夫が中学校卒、妻が高校卒なので三〜四ヵ月躊躇しましたが、私を大学まで行かせるということという約束を取った上で、育ての親になってもらうことが決まりました。


十七年後、私は大学へ入りました。ただこの大学はスタンフォードと同じくらい授業料が高く、収入のそれほどない育ての親の貯金を全部つぎ込むことになりました。私は最初の六ヵ月で大学の授業に何の価値も感じなくなりました。自分が何になりたかったのかわかりませんでした。そのまま大学にいたとしてもそれが見つかるとは思えませんでした。そんな自分なのに、一生かけて貯めたお金で養ってくれている養父母に申し訳なくなりました。


そして大学など出なくても何とかなるだろうと考え、中退することを決心したのです。たしかに怖かったのですが、いま考えると人生で最良の決断だったと思います。この決断のおかげで自分の興味のわく授業だけに出席できたのですから。


生活は大変でした。寮の部屋もなかったので友だちの部屋の床で寝起きしました。コーラの空きビン回収で五セントを集めて食事代にしました。日曜日の夜は十一キロも歩いて町のはずれの教会で無料の食事にありついていました。生活はひもじかったけれど充実していました。自分の好奇心と感性だけをたよりにしていた生活でした。お金では買えない経験もしました。その一つをお話ししましょう。


リード大学は当時、カリグラフィー(手書きのアルファベット。日本の書道のようなもの)ではアメリカ一とされ、キャンパスの中のポスターやラベル、引き出しの見出しまで美しい手書きの文字であふれていました。自由に科目を選ぼうと思っていた私はこの文字に魅了され、カリグラフィーのコースをとりました。いろいろな字体や文字ごとに微妙に違う文字と文字との間など、カリグラフィーの奥義を学びました。それはサイエンスでは表せない、歴史ある微妙で美しいアートで、私はこの世界にすっかり魅了されてしまったのです。


こんなものを学んでも、現実的に役に立つことなど、同時はありませんでした。ところが十年後に最初のマッキントッシュのコンピュータを設計していたとき、このカリグラフィーが突如として頭によみがえってきたのです。そしてマッキントッシュは世界で最初の、美しいフォントをもつコンピュータとなりました。


もし大学であのコースに出合わなかったら、マッキントッシュにはいまのような美しいフォントがそろっていなかった、もっと味気ないものになっていたでしょう。


大学生当時の私がこのようなことを予見していたのではありません。しかし大きな変化の伏線になっていたのです。


点と点を最初から結ぶのはむずかしいことです。後に振り返ったときに初めて、点と点を結んでいた線が見えるのです。だから、いま一見無関係に見える点もいずれは自分の人生の中で大きな線でつながれることを信じなくてはいけません。自分の勘、運命、輪廻を信じ続ける、そういう考えをもっていると人生に失望することはなく、常に自分に力を与えてくれるようになります。


二番目のお話はラブ(愛)とロス(失うこと)です。私が人生で比較的早く、自分の情熱をもてるものを見つけたのは幸運でした。


両親のガレージで友だちのウォズとアップルを始めたのは二十歳のころで、私たちは脇目もふらずに働きました。十年後気づいてみると、社員四千人、売り上げ二十億ドルの会社に成長していました。その一年前に最初の製品、マッキントッシュを発売したばかりで、私は三十歳でした。


しかし私は突然解任されました。会社を追われたのです。自分で創業した会社をクビになるなんてありえないと思っていました。会社が大きくなるにつれ、会社を経営するために優秀な経営者を外部より招聘しました。最初の一年はその人とうまくやっていましたが、だんだん意見が合わなくなり、ついに対決するはめになったのです。会社の取締役たちは彼に味方し、私は三十歳で自分の創業した会社から追い出されたのです。


マスコミの餌食にもなりました。それまでの人生をかけたものを失い、絶望のどん底に突き落とされました。自分が何をしてよいのかわからず、途方にくれた数ヵ月でした。前世代の起業家の期待を裏切ったのではないかと悩み、ヒューレットパッカードのパッカードさんにも謝りに行きました。マスコミにもさんざんたたかれ、シリコンバレーから逃げ出すことも考えました。


そんな騒動の中で簡単な事実に気がつきました。それは自分の仕事の中身に対する情熱はいささかも衰えていなかったという事実です。アップル社で拒絶されたにもかかわらず、私は自分のやっていたことが大好きでした。その情熱を大切にして私はもう一度やり直す決意をしました。


いまになってみれば、アップル社を解任されたことは私の人生において大変よかったと思います。成長し続けなければならないプレッシャーからも解放され、謙虚な初心者の気軽さを楽しむようになりました。この時期は人生の中でも一番クリエイティブな仕事ができました。


その後五年間で、ネクストとピクサーという会社を立ち上げました。その間すばらしい女性にも出会いました。彼女は私の生涯の伴侶となりました。ピクサー社は世界初のコンピュータアニメーションであるトイストーリーをつくり、今では世界で最も成功しているアニメ制作会社となっています。


運命のいたずらと言いますか、このネクスト社はアップル社に買収されました。それによって私は期せずしてアップル社に復帰することになったのです。ネクスト者で培った技術はいまアップル社の新技術の核心となっています。


一方で私は妻のロレーヌとともに幸せな家庭を築き始めました。


このような出来事はアップル社をクビにならなければ起こらなかったことです。たいへん苦い薬でしたが、私という患者には必要だったのです。人生においては時々レンガで頭を殴られるようなこともあります。そんなときは自分と運命を信じることです。


苦難のなかで私が前向きでいられたのは、自分のやっていることが好きでたまらなかったからです。自分が情熱のもてることを見つけなければなりません。これは仕事でも恋人でも同じです。仕事は人生のなかで大きな部分を占めます。情熱をもてる仕事につければすばらしい結果を生みます。あなたがまだそのような仕事を見つけられないのなら、探し続けてください。妥協してはいけません。情熱のもてるものに出合ったときは、頭ではなく心が自動的に反応します。そして愛情深い人間関係と同じように、年月がたつにつれどんどん良くなっていきます。情熱を捧げることができるものを探しましょう。中途半端な妥協はやめましょう。


三つ目のお話は、死についてです。


十七歳のときに読んだ本に書いてありました。


「毎日を人生最後の日と思って努力すれば、いずれ望みはかなえられる」


この考えは私に大きな影響を与えました。過去三十三年間、毎日朝起きて自分の顔を鏡で見ながら、「もし今日が自分の人生最後の日だったら、今日の予定をそのままこなすか?」を問い続けました。そして何日もその答えがノーであれば、何かを変えなくてはいけないと思いました。


いずれは自分も死を迎えるという考えは人生で大きな決断をする際に大変役に立ちます。見栄、他人の目、失敗の恥ずかしさ、そして恐れ。それらの感情は死を前にすると色あせてしまう。何が一番大切かを教えてくれます。死を意識することで「自分には失うものがある」というのは幻想であると気づくのです。我々はみな裸で生まれ、裸で死んでいきます。自分の心の叫びを指針にすべきです。


一年ほど前に私はガンを宣告されました。朝の七時半に病院でスキャンを受けたとき、すい臓に腫瘍が見つかったのです。それまですい臓とは何かさえ知りませんでした。医師によるとこのガンは確実には治療できないガンで、余命は三ヵ月から六ヵ月と宣告され、心の準備をするように言われました。


子どもだちに何と言えばいいのでしょう?目の前が真っ暗になりました。とても言葉で言い表すことはできません。


この宣告を受けた後は、一日中途方に暮れていました。その夜、私は病院に戻り、喉、胃、腸に針を通してすい臓の生体検査を受けました。その結果、奇跡的にも私のガンは手術によって治せる稀な腫瘍ということがわかったのです。すぐに手術を受け、私は一命を取り留めました。


これは、私が死に一番近づいた経験です。少なくともあと数十年はこんな経験がないよう祈っています。頭のなかだけではなく、実際に臨死の体験をしてみて確実に言えるのは、人は誰も死にたくないということです。天国には行きたいけれど死にたくはない。でも人間はいつか死にます。死は壮大な自然の摂理の結果です。死ぬことにより、より新しい種が生まれてくるのです。死は有無を言わさず、変革の動機となります。あなたもいずれは老いぼれ、後進に道を譲らねばならないのです。


時間は限られています。他人の人生を歩むのはやめましょう。他人のつくった固定観念の罠にとらわれないようにしましょう。他人の意見に左右されず、自分の心の叫びに耳を澄ませましょう。そして自分の心と直感を道標としましょう。どういうわけか、心と直感は自分が何になりたいかを常に知っているのです。


私が子どものころ、『The Whole Earth Catalogue』という素晴らしい本がありました。私の世代ではバイブルのような位置づけで、いまのグーグルのような情報の宝庫で新鮮なアイディアが山のように詰まっていました。


出版者のスチュアートがこの本の最後の版を出したのは一九七〇年代半ばころ。私はちょうど皆さんの年ごろでした。最終号の裏表紙に早朝の田舎道の写真がありました。これから皆さんがヒッチハイクの旅に出るような光景です。その写真のしたに“Stay Hungry,Stay Foolish.”という言葉が書いてあります。出版者から読者へのお別れの言葉でした。


これは、私が当時からずっと大切にしてきた言葉です。これから社会へ巣立っていく皆さんのはなむけの言葉にしたいと思います。


「ハングリー精神と遊び心を持ち続けよう」――。


ありがとうございました。

スピーチの奥義 (光文社新書)』より

 

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Macintosh 1984 Promotional Video - with Bill Gates! - YouTube

 

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