MAJOR FORCE BE WITH YOU - 30TH ANNIVERSARY - RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2018 何故こんな重要なレーベルがその後の裏原ブランドのように広く知られていないのか? それが一番の謎だ(笑)ファッション雑誌の90年代はいつもグッドイナフやNOWHEREから始まるけれども ちゃんと80年代からの"架け橋"があった事を見逃すのはあまりにも勿体ない。その1
⇦メジャーフォース⇨ ⇦メジャーフォース⇨ ⇦メジャーフォース⇨
なんて羨望的な響なんでしょう!
80年代後半にメジャーフォースはスタート。
僕は90年代後半に青春期を送ったので
残念ながら全てリアルタイムでは体験できなかった・・・。
だからこそ 憧れでしかない最先端のエリート集団!
まだ日本では あまり理解されないような ダンスミュージックを世界基準で
推し進めた。僕にとっては ずっとそんなイメージ。
その後に 東京から世界を圧巻させていく90年代の東京の裏原カルチャーや
ダンスミュージックの基礎が メジャーフォース時代を中心に出来上がっていった。
そういうイメージをずっと持っている。
主要メンバー
中西俊夫 TOSHIO NAKANISHI(PLASTICS / MELON / TYCOON TOSH)
高木完 KAN TAKAGI (東京ブラボー / TINY PANX)
藤原ヒロシ (TINY PANX / GOOD ENOUGH / FRAGMENT)
K.U.D.O (MELON / MAJOR FORCE WEST)
屋敷豪太 (MUTE BEAT / SOUL Ⅱ SOUL / SIMPLY RED)
このメンバーを見てもわかるように
何故こんな重要なレーベルがその後の裏原ブランドのように広く知られていないのか?
それが一番の謎だ(笑)
いつもファッション雑誌の90年代はグッドイナフやNOWHEREの話から始まるけれど
ちゃんと80年代からの"架け橋"があった事を見逃すのはあまりにも勿体ないと思う!
今 そこにある立派な樹は 今日突然生えたの訳ではないし
先人の努力や費やした功績によって成立しているのである。
それは知れば知るほど とても面白いハズ。
このライブを観ている間ずっと、僕の頭の中の主観から勝手に こんな図が浮かんできた。
ライブの一曲一曲に、その後 90年代以降の東京、ロンドン、NY etc にどんな影響を
及ぼしていったかと思うと全てが感動的だった。
もうかれこれ20年くらい先輩や友人と飲みながら
時々こんな東京オールドスクールの話をしている。
この時期の伝説や新しい発見があるとその度に感動して・・・。
これは本当に まとまりそうにない程(笑) 壮大だ・・・。
この図は パッと出てきただけで 抜けもいっぱいあるし、もっと書くと
絵巻物状態・・・壮大すぎて永久に完成も正解もないと思う。
あくまで興味のキッカケになったら嬉しいです。
ひとまず今回は ざっくりだけれども
(黄色の部分あたり) の想いを織り交ぜながら書いてみる。
ーオープニングー
最初にMELON(プラスチックス後の中西俊夫さんのグループ)のガーゼシャツを着た 高木完さんが登場!
「この台風の中 皆さま ありがとうございます。
台風だから タイフーン トシュ、トシちゃん (TYCOON TOSH=中西俊夫さん)
がイタズラしてるね・・・笑」
といった流れから
TYCOON TOSH "COPY88"で1曲目がスタート。
出だしから メジャーフォース創設者 中西俊夫さんへの
絶大なリスペクト、愛情が滲み出ていて・・・。
この瞬間、この時点からさっそく目頭が熱くなった。
聴いたことがない人は
プラスチックスの”COPY”(NEW WAVE)と TYCOON TOSH "COPY88"(HIPHOP)を
是非 聴き比べてほしい。
この2曲を今聴き比べること・・・
同じアーティストの同じ曲 がベースになってると思えない。
でもその違いがとても重要に思えてくる。
絶大な人気だったプラスチックス "ニューウェーブ"のグループのリーダーが
なぜ その後RAPをして まだ誰も知らない"HIPHOP ダンスミュージック"に挑戦
構築していくのか? その経緯や変化をたくさん感じる事ができると思う。
その経緯がとにかく面白い。
日本のヒップホップの根源的なスタートはここ、
中西俊夫さんの ズバ抜けて天才的な感受性にあると僕は思う。
まずNYのダウンタウンに行かなければHIPHOPを知れない時代。
まだHIPHOPという名前すらない時代に HIPHOPが重要だと気づいて
吸収して持って帰ってくる天才的な感受性が凄まじい。
今、2018年のUSチャートやApple musicのトップチャート上位20は
もう殆どかヒップホップ。
だが1982年にその重要性を感じ取れる能力は本当に凄いし
翌年にMELONのPVにロックステディークルー、
ブレイクダンサーを世界に先駆けて出演させている奇跡すら起こしている。
中西俊夫さんがメジャーフォースを創立しなければ
日本のダンスミュージックは確実に もっともっと遅れていたと思う。
それはプラスチックスやMELONでLONDONやNYに行き、
TALKING HEADS やマルコム マクラーレン、バスキアとも交流していた
中西俊夫さんにしか出来なかった事なんだと思う。
その証拠に DOWNTOWN81というバスキア主演の映画には
プラスチックスやワイルドスタイルのファブ5フレディーが出演して
いてその時期のNYダウンタウンの貴重な映像を見る事ができる。
2000年初期にこのフィルムが発見されて
初めてCOPYを演奏するプラスチックスのシーン見た。”なんて凄い日本人がいるんだ!”
ここで後のHIPHOPのサンプリングカルチャーを示唆するかの様な題材の曲
”COPY”を演奏している中西さんが メジャーフォースを作っていった事を
想像しながら見た感動は 今でもずっと自分の中に生きている。
また、この時期にNYの人達以外でHIPHOPを重要視していたのは
世界でも マルコムマクラーレン、中西俊夫さん、藤原ヒロシさん
位しかいなかったという様に 著書 ”プラスチックスの上昇と下降”に書かれている。
詳細はこの本にかなり書かれていて、
合わせて過去のレッドブルでのインタビューもとても面白いです。
ちょろっと WIKIペディア見ただけでは絶対書かれていない 感動を欲している方(笑)
是非読んで見てください!
この時代の事を去年のアストアロボットでの展示会の時にも結構書いています。
ペーター佐藤さんの事務所の隣にあります。
今もMELONのアイテムやセディショナリーズから
ワールズエンド等が展開されています。
中西俊夫さんと とてもゆかりの深い 伝説的なセレクトショップです。