シリーズ"その2" MAJOR FORCE BE WITH YOU - 30TH ANNIVERSARY - RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2018 何故こんな重要なレーベルがその後の裏原ブランドのように広く知られていないのか? それが一番の謎だ(笑)ファッション雑誌の90年代はいつもグッドイナフやNOWHEREから始まるけれども ちゃんと80年代からの"架け橋"があった事を見逃すのはあまりにも勿体ない。
↑ライブ中の頭の中のイメージ・・・
(※Kenji Jammerさんや いくつか超重要箇所の抜けがありましたので・・・
特にUS HIPHOP に関する箇所など補足しました。)
EGO WRAPPIN
随分時間が経ってしまいましたが・・・その2
あの日の”ライブ”から強く感じたのは、US HIPHOPのイメージというよりも
パンク、ニューウェーブ、ダブをやってきた人達が作っている
ダンスミュージックが根底にあるという部分でした。
だからこそロンドンと共鳴しやすくて
そこに芸能の世界も絡む東京!みたいな・・・
あの日はそっちの感覚を強く感じました。
ロンドンといえばジャマイカからの移民が多く、
古くから2Tone SKA UK DUBなど
モッズ、スキンヘッズ、パンクスと ルードボーイズ 絡み合いながら
独自のカルチャーをずっと築いています。
ライブプレイリスト
そこで
今回はこちらDUBの部分(蛍光ペン 水色の部分)
の所属していたDUBバンド MUTE BEAT について書いてみようと思います。
ここは一緒にMAJOR FORCEのライブを見ていた友人
#代々木ハウス の しんちゃんが大好きなトコロで、
僕は彼からいつも色々話を聞かせてもらっています。
MUTE BEATは 日本発、世界初のDUBミックスをLIVEで行ったバンドです。
通常DUBミックスというものは 録音された音源にかけているのですが、
まだ情報も少ない時代だったので・・・勘違いからか?!
DUBミックスを "ライブ"で行っていました。
それが 結果的に世界初のスタイルで
のちにUKのDUB期のASWADなどもLIVEでDUBの効果が欲しくなり
同じ様なことをやり始めました。
つまり、80年代の東京の中でも 先進性、完成度、影響力 TOPクラスのバンドです。
とにかく、百聞は一聴に如かず・・・
このバンド今聴いても
め〜〜〜〜〜〜〜ちゃくちゃカッコいいので是非聴いてみてください!
こんな世界レベルのバンドが80年代の東京で生まれていたなんて・・・
おニャン子クラブのセーラー服となんとかが全盛の時代ですよ(笑)
そんな時代に 世界の最前線に挑戦して
これを成立させるのは、本当に凄い事だと思う。
初めて聴いた時は本当に感動しました。
そして屋敷豪太さんは88年に渡英しSOUL Ⅱ SOULのプログラミングを担当し
その後 なんとシンプリーレッドの正式メンバーに加入。世界的なドラマーとなっていく。。。すごい。
MUTE BEAT | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル | ダブ レゲエ |
活動期間 | 1981年 - 1989年 |
レーベル | OVERHEAT |
公式サイト | MUTE BEAT |
旧メンバー | 小玉和文(トランペット) 宮崎泉(ダブミックス) 屋敷豪太(ドラムス) 増井朗人(トロンボーン) 松永孝義(ベース) 坂本みつわ(キーボード) 朝本浩文(キーボード) 今井秀行(パーカッション、ドラムス) エマーソン北村(キーボード) 内藤幸也(ギター) |
MUTE BEAT(ミュート・ビート)は、1981年に結成された日本初のダブバンド。ヨーロッパの賛美歌メロディーとマーチングバンド、ジャマイカのダブを組み合わせる。[1] 独特のサウンドで、世界中で評価される。バンドの特徴的なサウンドはアシッドジャズ、トリップ・ホップのそれを先取りしていたともいえよう。[2]
来歴[編集]
1981年、元ルード・フラワーの小玉和文(こだま和文)、屋敷豪太などを中心に結成。桑原茂一が原宿に作ったクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」を拠点にライブを行い、当時ピテカントロプスのアシスタント・ミキサーだった宮崎泉(Dub Master X)が加入し、ライブ・ダブ・バンドとしてのスタイルを確立。
小玉和文(トランペット) 宮崎泉(ダブミックス) 屋敷豪太(ドラムス) 増井朗人(トロンボーン) 松永孝義(ベース) 坂本みつわ(キーボード) 朝本浩文(キーボード) 今井秀行(パーカッション、ドラムス) エマーソン北村(キーボード) 内藤幸也(ギター) |
ECDさんもこのトラックで90年代後半にラップされています!
そして このバンドが日本のダブ、スカの礎を築き
その後の フィッシュマンズや サイレントポエッツ、リトルテンポ
デタミネイションズ、エゴラッピンなど・・・発展していく・・・。
先取りどころか10年以上も早い感覚。
当時はピテカントロプスでMELONと同時期にライブを行っていた様です。
そのMELONとMUTE BEATの両方のドラマーがLONDONに行く前の
屋敷豪太さんという事になります。
なのでDUBの側面からも、メージャーフォースの基礎的な部分が
世界基準だった事がわかります。
また
MUTE BEATの事を話すうえで必ず出てくるのが
こだま和文さん と親交の深かった "じゃがたら"の江戸アケミさん。
(70年代後半の新宿パンクからフェラクティなどアフロファンクバンドに変化していく。)
ここでは MUTE BEATの演奏に乗せてポエトリーリーディングを行っています。
これが、かなり衝撃的です。。。(じゃがたらの乱闘ライブ映像も衝撃的です。)
ここまで迫力のあるステージングが出来るアーティストが
果たして今いるのだろうか・・・とまで思ってしまいます。
このようなライブがS-KENさん主催の”東京ソイソース”で行われており
ここに、いとうせいこうさんや なんとタイニーパンクスも参加していたそうです!
僕らの様な世代からすると想像もつかない様な組み合わせですが・・・
いとうせいこうさんは自身のラップを確立していく上で
江戸アケミさんから影響を受けた事。この時の状況などを
インタビューで語っていてとても面白いです。
なぜこの時の東京のミュージシャンが実験的で先進性があって
いろんなチャレンジを可能にしたのか!?
無意識に チャレンジや 種蒔きより、
手前の売り上げを刈り取る事ばかりに慣れてしまった
2018年を生きる我々も オリンピック後10年などを考えると
この時代から学ぶべきトコロが多いのではないでしょうか。